27時の独り言

オタクが好きなものや考えたことをつらつらと述べる場所です

声優と朗読劇の話

リーミュ3弾、土曜夜だけ当たったから他公演どうしようか悩む。


このシリーズは最初のやつは配信みて、この間のイベントも楽しかった記憶。

 


で、そのときの帰りになんとなく考えたこと ↓↓↓

 

 

 

 

 

 

私は勝手に声優さんには演技のタイプという点で大きく2つのタイプに分かれるのではと感じている(もちろん全てくっきり分けられるとは言わないけど)。


一方はキャラに合わせて、自分を捨てるタイプの人。

 


それは色んな演出やディレクションを受けた上で作り上げていく完壁なキャラ造形。絵に、設定に、緻密に寄せられたもので、


例えば映画や舞台の俳優さんの演技と比べるとある種広がらないつまらない演技だろうというのは否めない。

でもそれは2次元という世界そのものが背負っている業であって、例えつまらなさを何度も何度も繰り返しても作品とキャラクターにあったものを作り出せる人は尊敬に値する、と思う。

体感M気質の人が多い(個人の見解です)

 


対して、そういう小手先に囚われずに演技というそれ自体を表現しようとする方も多い気がする。

これはだからといって声を変えないとかアニメっぽい声が出せないとかいうことでは決してなく、演技に向かう姿勢、その自分なりの核みたいなものを大切にする人というイメージ。常に「自分の」最善の演技をしようとする、というのかな。

こっちは正直言い切らんけどでもSっぽい人の方が多い気もする

 

 

 

で、これは完全に好みの問題だけれど、私は基本的に前者が好きで、より前者寄りであるほうが声優という職業としてのあるべき姿なんじゃないかとさえ思う。

 


のだけれど、朗読劇、それもキャラクターのパーソナルな情報を提示しない場合においてはその限りではないな、とナイトアウルのイベントを観て思った。

 

 

 

このタイプの朗読劇の場合、キャラ設定や演技プランの殆どは役者本人に委ねられていて、それを声優さん自らが組み立てることになるわけだけど、

 


何故か得てして役とは別に自身が確立した後者タイプの方がそういう場の立ち回りが上手い、ように見える。

 


まあよくよく考えれば演技を自分で確立しようとする、それを自分のなかにストックする人の方が映えるのは言うまでもなく当たり前なのかもしれないけど。

 


まあでも声優さんにとってキャラの、特にビジュアルがあるかどうかは演技においては致命的な意味があるのは間違いないと思う。だってそこに役者という括りにおける声優の異質さがあるに違いないんだから。

 

 

 

などなどつらつら考えていたけど、どうやら次のはキャラ絵や性格・特性を事前に細かく設定してるよう?

 


そうなると私としては前者のタイプの人に期待してしまうし、見てると分かってるな~と思う配役なので純粋に楽しみだ。ただ現地できるかは...ちょっと微妙か。