27時の独り言

オタクが好きなものや考えたことをつらつらと述べる場所です

2021年3月の乙女ゲーム②ラバープリテンド

王道でありつつきちんとテーマに沿ってまとめていて安定感あり。

 

プリテンドタイムは個人的には楽しかった。

いわたさんが関わってるからかレンドのラヴィールを思い出した。

 


ただJJの直後でボリューム的に物足りなく感じたのと題材がニアかぶりで暫く現代演劇系はいいかなという感じ

 


劇中劇を細かく描かなかったのはアリだと思った。JJはあれはあれでよかったけど少しくどいくて私が見たいのはゲームのキャラであってキャラが演じる役じゃないんだというときが多々あった。テンポ大事。

 


特にこれというキャラはいなかったけど全然隠れてない隠しの人はあざといね...


あざといといえば理玖もなんだけど最後までイマイチキャラを掴みきれなかった感が。

春三くんも可愛かったんだけど自分に突き刺さるエピソードが多くて...。うん、現代モノは身につまされる話が多いのでやっぱファンタジーがいいなあと思ったり。

2021年3月の乙女ゲーム①ジャンヌジャンヌ感想

JJ一応のコンプ(トロフィーあるけど)できたので感想。長かった...

 


以下箇条書き。

 


↓↓↓まず賛否混合なところ。


・物語とキャラの概観

皆魅力的だったけど青春雰囲気良すぎて初めのうち恋愛したいモチベが上がらない子は辛かったな。

あとキャラルートごとが金太郎飴。どうせ金賞とってハッピーエンドねって思いふと冷める。

 

強制的に負けるイベントあってもよかったのでは?普通にやってると全部優勝できるけど特に共通の序盤とかで惜しい~みたいのがないと最終公演のカタルシスに欠ける。

 

音ゲーとシュミレーション部分

曲もいいしリズムゲーム苦手な自分も楽しめた。けど2週目からは飛ばせてもよかったのでは?

ただもっと飛ばせるべきなのは公演のあいまのレッスンだなせめて週ごとに予定組ませれ

 

 


↓↓↓次、個人的ネガティブポイント

 


・やっぱ周回に難点。

間に挟んだラバプリの快適さたるや。

 


・男装主人公

どうしても苦手だ。希佐ちゃん良い子だと思ったけど男だと思ってたのを好きになるってやっぱ微妙。もともと男装が好きならともかくそれを強いる設定も。

 

唐突によぎる。


【個人的乙女ゲ三大もういいよ】

①失踪した家族を探す主人公

②男装

③孤児院出身の攻略キャラor迷子の子どもの母親を探すイベント

 

 

 

・最終公演

当て書きにしろキャラに近づけすぎて演じてる意味があまり感じられなかった。内容も正直他公演に比べて陳腐。そんな上手く国まとまるか?鳳くんの役も消化不良感。

 


・主人公の心理描写

相手に対する気持ちの変化の描写がたまに雑。いつ好きになったの?


・お兄ちゃんどした?

 

 


↓↓↓最後、好きポイント


・声優さん>の演じるキャラ(ゲーム)>の演じる役(歌劇)>の演じる役(キルツェ)

という入れ子が興味深い

 

男性を演じる女性(希佐)が演じる女性(ジャンヌ役)もそうだけどそういう表裏一体的な仕掛けがうまいし、

そういう意味で男女とか性差とかどうでもいいよね~っていう今の時代に合ってるんでしょう

 


・カイさんネジ先輩がよかった

特にネジ先輩、ずるすぎないか。

「好きになっちゃったんだ、君のこと」が頭から離れない.....

 


・77期(田中右先輩含め)も好き。ミノリン先輩本攻略したかった....


・ハヴェンナ

普通にアニメとかで観たい


・スイさんの絵

 

 

 

 


総評:まずまずよかった。ただしファミ通さんよ、プラチナはやり過ぎでは。

好きカプがすぐ不穏になる話

グラン・オダリスクが延期してしまって乙女ゲ新作までがすごーく遠かったから某掲示板でおすすめしてもらったTORやって1周クリアしたけどヴェイクレちゃんがほんと良かった。なんだろうオーディンスフィアやったときも思ったけど好きカプ(オズグウェ)がメインだと何にも気兼ねせずに楽しめるし何より安心して見ていられるのがいい。(十三機から入って見事にヴァニラファンになった。そっちは瑛×五に萌えた......)

 


それというのも、自分の好きになるカプがすぐ不穏感を出すから.....

 


一時期ロボットアニメにハマってたときに出会ったカプ↓↓↓

 


・スレアセ(アルドノア)

・ルルナナ(ギアス)

・エルリゼ(vvv)

 


うん。どっちかアレなのノルマ???

 


別に悲劇が好きなわけではないんだけども、いや悲劇は好きなんだけれど、普通に2人の幸せを願ってるし...。辛い。

思うに自分が好きになるカプは物語を動かす装置的に扱われることが多いんだろうな。まあそれはそれで美しいとも思うんだけれど...やっぱ幸せにはなって欲しい。

 


ジャンプで言うと永遠の最愛カプ日雛もそうだった。そして今リアルタイムで追ってるめぐつみも本誌の展開が不穏過ぎて...

最近だと地獄楽の夫婦は幸せエンドと小耳に挟んだから最終巻が待ち遠しいのだけれど、呪術はほんと毎週展開聞いて気が気じゃない(コミックス派)毎日。どうにか2人に幸あれ...

 

 

 

 


そして明日、というか今日ジャックジャンヌで来週ラバプリだったかなやっとこさ乙女ゲ加速いいぞ〜

いまの女オタク界隈の話。

有り体に言えば男女好きと言ったら「あ〜夢女か」と言われ、その時はそんなもんだと言ったけれど今思えばそれも心外だ、という話。

 

一昔前は女オタク=腐女子というイメージがあって、その実態に興味を持たない多くの人にとっては腐女子という使いやすい言葉が定着してしまったのはまあしょうがないと思うが、昔BLが好きでもないにも関わらず父親に覚えたての腐女子という言葉を使われたときは腹が立って面倒くさくも色々と言い返した気がする。

 

それが近頃になって女オタク、あるいは女性そのものの地位の上昇からか夢女子という言葉が新たに叫ばれだした。女オタク内部にも派閥というものがあるということが徐々に認知されるようになったのは有難いけれど、それによってまたも疎外感を覚える羽目になってる。

 

女オタクが皆BL好きだとかそういう幻想が消えたのはいい。

けれど今度は夢女子という言葉の登場によって女オタクは腐女子/夢女子という二項対立(?)的な意識が生まれる。

夢女は大雑把に言えばキャラクター×自分を好む子たちで、その言葉の元になっているのは主人公を自分の名前など好きな名前に設定できる夢小説(諸説あるとは思うが)。

それが近年になって所謂アイドル文化とくっついたのが夢女子という概念なんじゃないかな。

 

夢女子は自分×キャラクターだといったけれど現代においてはそれもあまり正しくないかもしれない。

近頃の夢女子を噛み砕くと「推し」のいる子と言い換えることも出来ると思う。推しという言葉も近年サブカル界隈で台頭してきたこの言葉も世間と自分の乖離を如実に象徴する言葉だ。あるいは○○担(担当)。

それは上で否定した今日の女性向け二次元アイドルコンテンツの氾濫が界隈全体に流入した結果現実では好きなキャラクターという意味で概ね使われている。どうにも馴染めない。

推し.......キャラを推す??

 

これが理解できないのは私が現実であろうと2次元であろうとアイドルというものが好きじゃないからなのだと思う。そもそもアイドルが3次元で生まれアイドルコンテンツとして2次元に輸入されたことを考えてもアイドルアニメがアニメである必要なくないか。

アイドルアニメを否定するつもりはないけれど、アイドルアニメが好きな人はアニメが好きなわけではなくてアイドルが好きなのだとしか思えない。元々自分がファンタジーやバトルものが好きという単純な理由もあるけれど、それだけではなくて、少なからず現実世界におけるマイノリティという意識からサブカルにのめり込んできた人間にとって、2次元アイドルコンテンツは本末転倒もいいところ、2次元である必要性のないものに感じるんだと思う。

 

 

キャラクターを好きになることはあるけれど、キャラクターを自分のパーソナリティにしたいとは思わないし実際の自分と並べたいとも感じない。言ってみれば作品世界に入ってみたいとは思っても作品のキャラが現実に出てきて欲しいとは思わない。どうしたって現実世界に対するアンチとしての姿勢がない「推し」の文化に自分は乗り切れないのだと思う。

 

つけ加えるなら「物語」の有無もカプ厨としては重要で、推し文化にはそれが欠落しているように感じる。

推し文化は言うまでもなくキャラが主体なのに対して私はあくまで作品に表現されるキャラの「物語」を愛してるんだということ。

大して活躍していないキャラがビジュアルというパッケージで人気になる現象もそうだけれど、極端に言えば私はキャラの言動や他キャラとの関係性を好きになるのであって、そのキャラクターを好きになっているわけではない(そのキャラさえいればいいというわけではない)のだと思う。

 

こうして見ると同じ男×女愛好家の夢女より関係性を好むBL好きの方が根本的には近いとすら思えるが...

 

とはいえBLでいいじゃん(?)ともなるはずもなく。

 

常にBL界全体で商業BLより同人が優勢なことからも分かるけれど、多くの腐女子というのは総じて逞しい想像力を持っている。これが彼女らの凄いと思うところでもあり相容れないと感じるところでもある。

多くの男女者は作品至上主義なのではないかと思う。もちろん自分の好みの男女キャラを組み合わせて妄想したカプがないとは言わないけれど、多くの場合作品内に、少なくとも単なる友達以上の関係性、恋愛とまではいかなくてもそれを匂わせる空気があることが自分のなかでは大前提である(言うまでもなく主観の話)。

対して腐女子は作品で読み取れる以上の関係を表現するのが得意。作品で読み取れる、というのは「腐女子」が女性であり異性愛者であることを前提とした場合、作中の男性キャラが、明言のない限り自分と同じ女性を恋愛対象と見るのが「普通」のはずだという意味。

もちろん表現も解釈も個人の自由なんだから、それに水を差すつもりは一切ないんだけれど、作品に対するスタンスの違いという点でやっぱり腐女子とも分かり合えないなという話。

 

じゃあお前普通の読者or視聴者だってことじゃねえかって、そうです。

自分普通です。別にそれを誇りたいわけではなく。

作品至上主義というのは結局のところ何処までも受け手に留まる存在で何も生み出さない。(創作する男女さんがいることはもちろん分かっていてこれはあくまで自分の話)。

女性向け同人市場において腐が優勢なのも、

まあ良くも悪くも妄想は元の作品を越えたものを生む可能性があるのに対して、作品の描写を忠実に愛好する姿勢はその幅が小さくなりがちだということがあるんだと思う。そういう意味で理解は及ばないけれどその逞しさに尊敬の気持ちもある。